<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" 
			xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" 
			xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://himahri.blog45.fc2.com/?xml">
<title>ひまわり！ レンガ通り</title>
<link>http://himahri.blog45.fc2.com/</link>
<description>いろいろ感想文。週刊 愛と平和（今年は特に）</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-62.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-61.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-60.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-59.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-58.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-62.html">
<link>http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-62.html</link>
<title>お姫様が電気毛布の夢を見るか？ ～桜守姫秘聞（8）</title>
<description> 桜守姫は、例えば物知りには珍しい話を求めます。美形の彼にはそのまま美を求めますが、これは要するに相手への「欲」です。姫じしんが欲している。けども、彼女は自分に欲を見られるのは嫌います。これは単なるわがままですが、でもほんとにそうか、という話をまずします。◇他人に欲望を見るくせに、他人から欲望を見られることは拒む。これはわがままです。公平に自由な関係ではない。でも「美しい」という「女性の魅力」とされ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="color:#333333"><br /><br /><br /><br />桜守姫は、例えば物知りには珍しい話を求めます。美形の彼にはそのまま美を求めますが、これは要するに相手への「欲」です。姫じしんが欲している。<br />けども、彼女は自分に欲を見られるのは嫌います。<br />これは単なるわがままですが、でもほんとにそうか、という話をまずします。<br /><br />◇<br /><br />他人に欲望を見るくせに、他人から欲望を見られることは拒む。これはわがままです。公平に自由な関係ではない。<br /><br />でも「美しい」という「女性の魅力」とされる性質、あるいは「姫君」という出自に関する属性も、本人にしてみれば部分的な性質でしかありません。おまけに自分から持とうと思って持ったものでもない。<br />ちなみにもちろん物知りはその「博識」を買われて婿候補になっているのだし、美男子に求められたのはその「美」です。だから本人にはそれこそが自分だという自負があります。でも桜守姫の「美しい」「姫君」あるいは「オンナ」は違います。<br /><br />彼女の時代の社会制度は無視しますが、桜守姫も「個人」です。<br />他とは相容れない固有の性質、早い話が個性をもった人格なのに、「オンナ」という性質のみで自分を丸ごと裁断されたら、これは不愉快なはずです。それは「美しい」も「姫君」も同じです。<br />家柄や親は選べるわけではないし、それは容姿も性別もそうで、生まれたらそうだっただけなのに、身分・美・性別めあてに男たちは寄ってくるなら、「いい加減にしろ」でしょう。<br />そんなの向こうが一方的に求めてるだけで自分には関係ない。<br /><br />そもそも今回の見合い話は、親の希望によるものです。<br />桜守姫は、男性と話しているより桜の木を眺めているほうが好きなのですが、そんな彼女にとってはする必要のない見合いだったといえます。事実、婿取りをはじめると親に宣言されたとき姫は、そっぽを向きながら「………」としています。<br />見合い活動で美男子や物知りに出会うことにもなったし、それでひと時は楽しんだのは事実ですが、そもそも周りが勝手にやってるだけのこと、といえばそうです。<br /><br />姫は立場上その見合い話を受けてはいるけれど、べつにそんなのしたくもない。親にも婿候補にもそれなりの思惑はあるようだけど、それは「今回の見合い話」があればこその話で、それを「自分自身としては」受け入れていない姫にすれば、そんな欲と自分の欲をごっちゃにされてはたまらないでしょう。<br />むろんこれは無欲の青年に関しても同じです。そもそも婿取りの話がなければ、彼が姫に欲望をもつ瞬間などありません。<br /><br />繰り返し、見合い話もオンナも美しいも姫君も、どれも桜守姫じしんが望んだものではないんだと。<br />それは親やオトコが勝手にこちらに求めてくるだけのもので、つまり「周囲が‘おまえはこういうものだ’と勝手に決めてくる」だけのもので、彼女には関係ないわけです。<br /><br />それで姫が相手を殺したとしても、ある意味で仕方ない、と言えるかも知れません。もとをただせばこの暴力は、親や男たちが原因なのだし、そう考えれば姫の行為は、むしろ自由ではないかと。<br />つまり彼女は罪なのかということですが、――もちろん罪です。<br /><br />◇<br /><br />例えば、美男子と物知りを桜守姫はしばらくそばに置いておきます。なぜそうできるのかといえば、そもそも彼女が「美しい姫君」だからです。<br />つまり自分の属性を利用している。<br />立場を利用している、といったほうが分かりやすいでしょうけど、自分が「姫君」であり「美人」であったからこそ、婿取りに応募者はたくさんあり、その中に美形と物知りはおり、彼らから一定のヨロコビをもらったのが姫です。<br />見合い話は親が勝手に始めたものですが、でもそれで彼女は美しい男性を眺めていられたし、珍しい話を聞くことができました。それにヨロコんでいたのも姫の事実です。<br /><br />だからやっぱり桜守姫はバランス感覚を欠いています。公平ではない。<br />自分からも欲を持つのに、相手の欲は切り捨てる。それでなにが「桜を見てれば幸せ！」なんだって話ですけど、こういう補足を入れておきます。<br />というより、この補足が本文になっていくんですが――、<br /><br />◇<br /><br />実際、姫と周囲に甲乙をつけようとすると、あとは水掛論になるものです。<br />桜守姫は悪い、が親も悪いし男たちも悪い、が桜守姫だっていけない…、と無限に続いていきます。<br />のはずなんですが、そうじゃありません。そうじゃないのが清原なつののこの作品です。<br /><br />親がやったことは確かに一方的なのですが、でもそれは、本当に一方的なだけだったりします。一方通行的、といえば多少は分かるでしょうか、その場面。<br /><br />「桜守姫、あなたももう年頃なのだから良い結婚相手が必要です。だからおふれを出しました。あなたにヨロコビを教えてくれる者と結婚させると」とお父さん。<br />いかにも一方的で断定的、立場と常識を楯にした強い言葉ですが、当の娘といえば、<br />「………」<br />とそっぽをむくだけです。この反応に目が点になり、<br />「あの…」<br />としか返せないお父さん。隣にいるお母さんに（要するに奥さんです）、<br />（やっぱり気に入らなかったみたいよ、ママ）<br />と小声で呟く。お母さん（奥さん）も、<br />（きっと、てれてるだけよ、パパ）<br />とお父さん（だんなさん）をフォロー。<br /><br />要は両親は「娘が拒否しているのは十分に理解している」わけです。しかもその上で娘に気を使ってすらいる。んだけど、見合い話は進めるという、よく分からないというか分かりすぎるというか、そういう状況だったりします。<br /><br />「なんですその態度は、姫！  あなたを思ってのことですよ！」<br />とでも叱責してくれれば「したくもない見合い話をむりやり押し付けられて、親の選んだ男といやいや会っている娘」にはなります。<br />野島伸司ならそうしたはずですが、でも清原なつのは違いました。<br />違うどころか、親は自分の娘に遠慮すらしています。いうにことかいて「あの…」とは、父親の威厳もかたなしってとこですが、もう時代はそうだったと。（※1）<br /><br />にもかかわらず、次にこの夫婦はどうするかです。ページがかわると両親、いそいそ婿候補の選抜に余念がなかったりします。娘はこの話を拒否していると分かりながらも、やっぱり見合いの段取りは進めている。<br />勝手に見合い話を持ち出して、勝手にその先を進めている――と書けば桜守姫にとっていい迷惑でしかありませんが、この「勝手に」とは「ほんとうに勝手に」なんです。<br />そして当然、両親がそうできるのは、「そういう‘立場’に自分がいるから」なんですよね。<br /><br />◇<br /><br />話とは、<br />・親は見合いを姫に押しつけてはいない<br />ことがまず前提です。正確には、<br />・押しつけられない<br />ことです。<br />それを押しつけられるほどの力は、もう親には（父親には）無いんだと。<br />それを踏まえたうえで、<br /><br />・押しつけはしないが、諦めるわけでもなく、自分たちの一方的な思惑は維持し、娘の気持ちはまったく無視したままである<br />点がけっこうなポイントでしょうか。<br />要するに、この親子は「関係」というものを持ってないんですよね。コミュニケーションというものが成り立っていない。<br />そしてなにより、この親子はよく似ています。<br /><br />美男子と物知りは親のむりやりの縁談の結果だとも、あえてならいえます。でも同じ経緯を持つとはいえ、自分から身を引こうとし、実際一度は身を引いた青年を姫は呼びとめています。<br />自分から引きとめた相手を、この先もずっといられるのはやだから殺す、引きとめられた側のことなどなにも考えずに。<br />それが桜守姫の自由なら、娘の見合い話を当の娘の事情など眼中なく進めるこの夫婦も自由に生きています。<br />娘が個人なら、親も個人なのだと。<br /><br /><br />親を悪いとすれば姫の所業は「それはそれで仕方ない」となり、姫を悪だとすれば親の罪が軽減される、のではありません。<br />親が悪いなら桜守姫も悪く、姫がよろしければ親もよろしくなる。姫が個人の権利を発動したなら、親だって自由を謳歌する個人なんだってことです。<br />娘の不機嫌など意に介さず婿選びにはしゃぐ人。見合い相手を次々に殺しながらお気に入りの桜にうっとりしている人。この両者は一緒です。<br /><br />自分から欲しながら「他人にもたらされるヨロコビはやだ」だけで行う暴力、これが罪でなくてなにかとは、まだ問えるはずです。<br />仮に桜守姫にだけ本質的な自由を見させてしまうなら、それを支える「個人」という概念とはなんでしょう。あるいはその概念のもつ視野とは。<br /><br />◇<br /><br />ここまでの話に覚える感傷とは、無神経なバカのせいで個人の自由が毀損されるとか、社会の制度やしきたりの前で個人は無力だとか、そういうものではありません。<br />桜守姫も両親も、どっちもなんだかさびしい、ということです。<br /><br />無欲の彼がぎりぎりでみせた、数パーセントの欲を桜守姫が感じとったように、両親も、娘の心情に敏感に（というよりもう過剰に）反応しています。<br />そこまで分かっていて、どうして互いはうまくやっていけないのでしょう。<br /><br /><br />付記；<br />※1　親（父親）には力がない、とは当時すでに既定の事実で、なにも『桜守姫秘聞』で初めて指摘されたものではありません。<br />ただ確かに、当時に至ってなお「親には力がある」としていた認識はありました。同じ年に発表された江國香織の『きらきらひかる』でも、親の力に弱る娘・息子が登場しています。<br />でもけして、その時期（91年前後）が過渡的時期だったということではありません。<br />親（父親）に力が無くなったのは、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』で沖田十三が死んだときで、つまり70年代のなかばです。<br />親の力は実質的にはその時期にもう無くなっていた。それでもそのような力関係があることを前提に、表面的には「親子関係」を続けてきたけれど、80年代を過ぎた時期には、もう現実的にも「親子」は成り立たなくなっていた。そういうものです。<br />この点で大事なのは、『宇宙戦艦ヤマト』以降にマンガ家として活動を始めた清原なつのが、その活動の最初から「親」を登場させないマンガ家だったということです。<br />清原なつのは一貫して、作品から「親」「大人」という存在を排除してきました。唯一の例外は「アレックス・タイムトラベル・シリーズ」で（これは後述します）、ここらへんを知っていないと、「桜守姫の両親」の扱いを見誤るかも知れません。<br />清原なつのにすれば、「親に力など無い」というのはとっくに決まっているようなもので、ゆえに「親に押しつけられた見合い」なんてあるわけがありません。<br />だからそれよりも、「姫が個人なら、親も個人だ」というのが、彼女の当然の見方なんです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>清原・桜守姫秘聞</dc:subject>
<dc:date>2009-11-25T20:11:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>倉沢きょう</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-61.html">
<link>http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-61.html</link>
<title>お姫様が電気毛布の夢を見るか？ ～桜守姫秘聞（7）</title>
<description> 今日は前の前の前まで戻っての話で――ともかく桜守姫は「ヨロコビ」の影に「他人」の姿がちらつくことがイヤだ、という話でした。さてところで、これってどういうことでしょうか。もちろん、「自意識を持つことがイヤだ」ということです。人は誰でも本人なりの「想い」や「思惑」を持ちます。つまり「欲」を持ちますけれど、なぜこれが姫の気になるのかというと、「欲を持たれることによって‘自分’というものを意識してしまうから」
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="color:#333333"><br /><br /><br /><br />今日は前の前の前まで戻っての話で――ともかく桜守姫は「ヨロコビ」の影に「他人」の姿がちらつくことがイヤだ、という話でした。<br />さてところで、これってどういうことでしょうか。もちろん、「自意識を持つことがイヤだ」ということです。<br /><br />人は誰でも本人なりの「想い」や「思惑」を持ちます。つまり「欲」を持ちますけれど、なぜこれが姫の気になるのかというと、「欲を持たれることによって‘自分’というものを意識してしまうから」ですよね。<br />あくまで分かりやすい例としてですが、相手の男性が「美しい桜守姫の婿候補になれるなんて！　姫とセックスできるってことじゃん！」みたいに思うとき、姫も当然「…この人はあたしとセックスしたいんだ。こいつにするとあたしは性欲の対象なんだ」という風に、‘自分’というものを意識してしまう。「性欲の対象かどうか」ではなく「ともかく‘自分’というものを意識させる」のが、「他人の欲」だという話です。<br /><br />もちろん桜や眠りはこういう「欲」を持ちません。よって桜守姫に‘自分’を意識させることもありません。姫は、桜の美しさに、眠りの快楽に、浸っていればいいだけです。<br />なので桜守姫がイヤなのは「他人」ではなく、「他人というものの欲によって、自意識を持つこと」です。あるいは「自意識の中に‘他人の欲’というものを含めることで、ふだん以上に自意識が高まっている状態」が嫌いなんだと。<br /><br />ところで、だとすると、なぜ「無欲の青年」まで彼女は殺すのか、ということになります。彼はそういった「欲」を持たない人間として登場するし、ゆえに選ばれているはずです。<br /><br />◇<br /><br />これはまず、<br />・それでも彼も欲を持つから<br />でしょう。<br />彼も人間ですから、当然、桜守姫への「想い」くらいは持つはずです。分別はあるので「思惑」のような計算は無いかも知れませんが、けど姫の部屋に通されて、実際にセックスするよという場面になれば、それなりの欲は持つはずです。<br />ちなみに念のため、彼と姫との性交渉は和姦です。彼は姫に襲いかかったわけではないし、逆に、姫がむりやり彼を性交可能状態にして性交した（これはこれで強姦ですが）ではありません。<br />とはいえ無欲の彼だって、ぎりぎりのとこでは欲を持っただろうし、それを嫌って桜守姫は彼を殺すことにしたと。これは十分に考えられますし、たぶん半分はそうでしょう。<br /><br />もう半分は、<br />・彼にも欲があることを姫が感じたから<br />です。ただこれは、「無欲の彼もやっぱりその場面では‘欲’を持った」→「その‘欲’を姫は感じとった」→「だから殺した」という意味ではありません。<br />彼が本当に欲を持ったかどうかに関係なく、「この彼も‘きっと’私に欲を持っている」と一方的に姫が感じとったとも考えられるからです。そういう意味です。<br /><br />という二点が考えられますけど、ここで言いたいのは、桜守姫はそんな風に、「相手の欲」というのを自意識に繰り込む人なのではないかということです。<br />相手が欲を持とうが持たまいが、最初からそんなものには関心を払わない人というのはいます。でも少なくとも、桜守姫はそうじゃないんじゃないかと。<br /><br />◇<br /><br />もっと具体的に見てみましょう。<br /><br />出会いからの流れを思い出してもらえれば分かりますが、姫と彼との関係を主導しているのは姫のほうです。ゆえに、最後の最後まで彼が無欲だったことはありえます。<br /><br />もちろん彼も、そもそも桜守姫を美しいと思ってきた人なのだから、寝床に案内されれば興奮したかも知れません。ていうか、したでしょう。そう考えて当然ですが、とはいえそんな彼の「欲」をやっぱり嫌ったのが姫だとするなら、ここでも「襲いかかる」シーンがないと不自然ですよね。結局男性とはそれなのだと。<br />けれどそんなシーンは無く、逆に、こういうシーンがあります。これはけっこう重大なシーンです。<br /><br />姫の部屋に通され、なごみ、見つめ合い、ふたりは上衣を脱いでキスします。一般的にいえば盛り上がってる場面ですので、今さら「欲を持ったかどうか」なんていってる場合ではないわけですけど、ところで、ここで彼はいいます。お互いが衣服をとったところで、<br />「あれ…桜守姫、意外に筋肉質なんですね」<br />これが例の「ぽきっ」ですけれど、「いやま、分別があるのは分かるが、そこまで理性的なのはどうすか？」ともいいたくなる冷静ぶりです。（てかそもそも、そういう場面じゃなくても、男性が女性に「意外と筋肉質すね」と話すのは度胸がいるものですが）。<br /><br />清原なつのが「無欲の青年」を登場させたのは、やっぱり「ほんとうの無欲に対して桜守姫がどう振る舞うか」を描くためなんですよね。<br />上記のシーンは冗談だろうし、彼の無欲ぶりを示す意図では無いかも知れませんが、だとしても、こういうことを濡れ場で語るような人物でもあるのは確かです。<br />そしてその後、実際の性交渉に向かう彼は、まるで儀式のようにそれを行っています。本人の意志というよりも、「こういう場面ではこういう風に振る舞うものだから」というような。<br /><br />「無欲の青年」とはほんとうに無欲だし、そんな彼が持つ「欲」とは、けして分別を越えた計算によるのではなく、あったとしてもごく自然なものなのだと。<br />その「自然」は常識的＝形式的な振る舞いと呼んでもよいようなもので、ゆえに機械的な振る舞いでもあるような、そんな描かれ方をしている。<br />でもそんな「欲」も「余計」と感じる過剰さを桜守姫は持っている。あるいは、「それでもそれは‘欲’に変わりはない」として嫌う。<br /><br />男性は、対する女性に（それが抽象的な欲望であっても）欲を感じなければ性交可能になりませんから、彼は彼で「欲」を持ったでしょう。<br />でも少なくとも『桜守姫秘聞』でいえば、「相手の欲」を感じるとしても姫の一方的な思い込みの要素が十分にあります。そしてその思い込みが過剰だと。<br /><br />◇<br /><br />相手に欲が無くても「有る」と感じてしまう。相手の欲が1でも100だと感じてしまう――あるいは、相手の欲が1ならその通りに1と感じ、でも「1だとしても有るには有る」と感じるという考え方だってできます。<br /><br />姫が嫌うのは「自意識を持つこと」だし、それは「他人の欲という不愉快な要素を含むことで、ふだん以上に自意識が高まる」こととイコールできるはずですが、だとしたら、「1」でしかなくてもノイズはノイズだし、自意識の高まりは高まりです。<br />そういうレベルにいるのが桜守姫だとしたら、どうでしょう。それがこの「無欲の青年」とのエピソードの内実だと。<br /><br />桜守姫は、「他人の欲」を過剰に推測しているだけかも知れませんが、実は正確に想像できているのかも知れません。<br />ただいずれにしろ、「他人の欲」に関心を払わないことはないし、払っておきながら気にせず自分だけの快感にぼっとうできるような人ではないと。そうできないから抹殺にまでいく。<br /><br />ちなみに念のため、<br />無欲の青年とのセックスはふつうのセックスです。「ふだんはおとなしい人なのに、セックスでは変態！」みたいな、そういうのじゃありません。<br />「性的」という点でいえば、ごく自然な性的快感を得ていたはずなのが桜守姫だってことです。<br /><br /><br />桜守姫は「セックス」がダメです。それを「ヨロコビ」とは思えない。「ヨロコビ」と思えないのは、セックスには「ぼっとうできない」からです。<br />桜や眠りや美形には、「我を忘れて」ぼっとうができる。つまり自意識を持たないで済む。けれどセックスの最中に「あ、この人でもダメだ」と思う姫にすると、セックスは「ぼっとうできない」ものだし、「その点で、ヨロコビではあっても純度は落ちる」ものです。<br />その純度を落としているのは「この人」つまり「他人」の存在です。なぜなら、眠りにも桜にも美にも、人格は無いからです。<br />ではなぜ「他人＝人格を持った他者」がダメなのかというと、それが「私への欲を持つことによって、私に‘自分’というものを意識させるから」です。<br />ゆえに「他人」とは、それじたいで「私への欲を持つような存在」だと認識されている。<br />よって彼女が自分を「自分」と意識するとき、そこにはその対になる「他人」も想定される。なぜなら、自分で「自分」を考えるとは、「自分は何なのか」「自分はどうすればいいのか」ということだからで、それはつまり「自分はどう見えるものなのか」「どうすれば、他人に納得してもらえるのか」ということだからです。<br />他人を意識すると自分を考えてしまう。自分を意識すると、自動的に他人のことも考えている。そういう循環の中に姫はいます。<br />ゆえに「無欲」でも彼女の殺人の対象になるし、仮に1パーセントでも「欲」を感じることがあるなら、それは十分に殺人の確信につながるのだと。<br /><br />◇<br /><br />ありていにいえば桜守姫とは、「自分はこういうものを他人から（この人から）望まれている」と感じることがイヤな人だということです。そして、それはどんなレベルでもイヤで、とにかくすべてイヤなんです。<br />「私は他人の前で（この人の前で）こうしないといけない（のかも知れない）」と思うのがイヤで、そう振る舞うことがイヤなのではなく、それ以前に、そう想像することじたいがもうイヤなんだと。<br /><br />だから、自分にそういう想像をさせるような相手はことごとくイヤです。実際に相手がそう思っているかどうかではなく、「この人は私にこう思ってるのかも知れない」と思わせ、ほんの数パーセントでもそれを確信できる存在なら、もう彼女の殺人の対象になります。<br />残りの90パーセント以上は欲ではなく、むしろ好ましい性質だとしても、ほんの数パーセントあれば殺してしまう。<br />彼女が無欲の青年を殺すのは、「あなたが人間だから」です。<br />「たとえ1パーセントの欲でも、それが私の過剰な思い込みだとしても、それでも‘私に対する欲を持ちうる存在’だから」です。<br /><br />というわけで、『桜守姫秘聞』の現代的な比喩性はここから始まります。<br /><br />「人を殺す」とはなんでしょう。それはいってみれば、「この世界からその存在を無くす」ことです。<br />では「この世界」とはなんでしょうか。これはおおむね「自分のいる社会」のことです。では「社会」とは何か。「自身の言語体系＝認識＝意識を作っている枠組み」のことです。<br />ゆえに、「その存在を意識（自意識）の外に閉め出すこと」は「殺人」とイコールになります。「死」と同じ内容になる。<br /><br />無欲の青年とふつうのセックスをした桜守姫は、きっと、ふつうに性的快感＝ヨロコビを得たはずです。でもそれでも彼は「いらない」なら、彼女に必要だったのは「性的快感」だけだったということです。<br />相手が彼である必要はない。いえば、人間である必要すらない。性的な遊具でもことたります。いわゆる「人間・人間性・人間的、個人・個性」というのはどうでもいい。<br />そういう意味での「人間」「個人」という存在を姫は認めていない――だからそれは「存在が無いこと＝死」なのだと。<br />少なくとも近代的な意味ではまったくそうです。<br /><br /><br />作品を正直に読むなら、桜守姫は「どうしても他人を無視できない人」です。でも比喩的に読むなら、「いくらでも他人を無視できる人」です。つまり彼女は、殺す前から殺しているんですよね。美形や物知りがそうだったように。<br /><br />桜守姫とは、「言いたいことだけ言い、聞きたくないことは聞かない。ともかく私の思い通りじゃないことはぜんぶイヤ」という人です。<br />そんな彼女に必要なのは、人間ではなく機械です。珍しい話をずっとしていてくれる機械、美しいものを見せてくれる装置。<br />私にあれこれ言わず、私に自分を意識させず、ただ黙って私をヨロコビに没頭させてくれる、私の心の再現装置です。<br />でも困ったことに、彼女は、彼らによって再現してもらうまで、自分の心が何を求めていたのかを知らないんです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>清原・桜守姫秘聞</dc:subject>
<dc:date>2009-11-18T21:49:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>倉沢きょう</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-60.html">
<link>http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-60.html</link>
<title>お姫様が電気毛布の夢を見るか？ ～桜守姫秘聞（6）</title>
<description> もう一回桜守姫の弁護の回にしますけど、どうも桜守姫は「現代」に馴染まない人じゃないかという話が前回でした。セックスしたところでやっぱりつまんない相手なら「ごめん、ばいばい」で済むだろうし、気に入ってるならそいつらをはべらせる逆ハーレムにすればいいのに、そうしない。どうも姫は「将来を共にするひとりの相手」を求めているようで、古いともむちゃくちゃともいえるけど、これって案外本質的な倫理観かも知れないっ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="color:#333333"><br /><br /><br /><br />もう一回桜守姫の弁護の回にしますけど、どうも桜守姫は「現代」に馴染まない人じゃないかという話が前回でした。<br />セックスしたところでやっぱりつまんない相手なら「ごめん、ばいばい」で済むだろうし、気に入ってるならそいつらをはべらせる逆ハーレムにすればいいのに、そうしない。<br />どうも姫は「将来を共にするひとりの相手」を求めているようで、古いともむちゃくちゃともいえるけど、これって案外本質的な倫理観かも知れないっていう仮説でしたが、ところで、この倫理観を生む初心って、それだけでしょうか？<br />少々乱暴な言い方をすれば、人は誰かに性欲を感じることを「好き」と表現する生き物ですが、生理的・心理的な背景がそれだとして、意識的・理性的な背景は無いのかってことです。<br /><br />◇<br /><br />実は桜守姫の物語は、現代のある人物によって語られる伝説だったりします。つまり基礎のシチュエーションは現代で、「桜守姫の子孫」を名乗る現代女性が恋人に伝説を語り聞かせるという趣向になっています。<br />そこらへんの詳細はあとにしますが、ともあれ、聞き手の男性は語り手の恋人に、こんな風にたずねたりします。<br />「姫はそれからどうしたの？」<br />人殺しを繰り返す日々がどうなったのか、という意味です。<br />「だって君、そのお姫様の子孫だろ。じゃあ姫はちゃんとヨロコビを知って、子どもを作ったんだ」<br />などとも付け加えるのですが、その通りです。<br /><br />恋人氏の指摘はもっともです。子孫がここにいるのだから、桜守姫はきちんと結婚して、子どもを産んで育てたのだと。<br />と考えるのは早計ですよね。<br /><br />◇<br /><br />未婚の母の可能性だってなくはありません。殺したオトコがその前に射精していた、彼の精子と姫の卵子が受精した、そういう可能性はあります。<br />子孫＝子どもが出来るかどうかは、本人の意思に関係のない機械的なものです。人間的な心に関係のない動物的なものだと言ってもいいですが（というか動物は「高度に精密な機械」だと言ったほうが近いですが）、ここはけっこうなポイントです。<br />というのは、なぜ桜守姫が「セックスをした異性」に責任を感じるのかと言えば、おそらく前提に「それは子どもをつくる行為だから」というのがあるはずだからです。<br /><br />「結婚をすること・性的関係を持つこと」には「将来を共にする約束が含まれる」のが「みんなの規則（だから守らないといけない・そう信じないといけない）」のではありません。<br />「結婚をすること＝ある異性と性的関係を持つ関係になること」は「その結果、子どもが出来る可能性が多分にあり」（出来ない場合もあるし、それはけして不自然でも劣ったことでもありませんが）、「ゆえに‘将来的な責任を負うことになりうる’ことを十分に意識して当然だから」、桜守姫は彼らとの関係に責任を感じるんだろうと。<br /><br />「子ども」という未来を背負った存在は、自分の行為によって生まれるのだし、内容だって半分は自分なわけです。だから「自分の責任範囲」だと。<br />だから、性的関係も結婚も、「将来を共にしていく相手との関係」として意識されうる、だから意識する、それが桜守姫じゃないかと。<br /><br />◇<br /><br />ところで、この論法でいけば、避妊や中絶が可能なら「べつに相手（男）への責任を感じる必要はない」ことになります。これはその通りと受けとめていいはずです。<br />あるいは同じ論法でいえば、同性愛者には「相手への責任を感じる必要はない」ことになります。これも、その通り受けとめていいはずです。<br />桜守姫のロジックは、あくまで「避妊や中絶を念頭に置かず、女性と男性で性的行為を行う結婚（同棲、同居、共同的）生活を送る」か「代理出産などの生殖補助医療の利用を念頭に置いた同性どうしの性的関係・結婚（同棲、同居、共同的）生活を送る」かの場合にしか当てはまりません。<br />面倒な言い方になってますけど、例によって現代的な価値観とは合わないということです。<br /><br />避妊はもちろん、中絶だって日常的なことです。この話はまたべつでしたいと思ってますけど、特に現代の日本人は堕胎・人工妊娠中絶への罪悪感というものを、まったくと言ってよいほど持っていないものです。<br />でもだから、「桜」なのですけれど。<br /><br />桜は避妊も中絶もしません。そういうものは自然に任せている存在です。というより、文字どおり「自然」です。<br />そんな桜が受精のために行う行為が好きなのが桜守姫ですけど――というこれは比喩的になっていますが、でも「花」って要は植物の生殖器です。人でいうなら女性器と男性器です。「花が咲く」のって、桜にとってのセックスですよね。（だからこの‘愛と性のシリーズ’のタイトルは「花図鑑」のはずなんですけど）（※1）。<br /><br />◇<br /><br />『桜守姫秘聞』、というよりその主人公の桜守姫は、どうも「現代」という時代とは合わないわけですけれど、でも話した通り、実はこの物語の基礎的なシチュエーションは「現代」だったりします。<br />現代とは合わないかも知れないけどこれこそ現代的かもしれない――というあたりまでを、彼女たちへの弁護にさせてください。<br /><br /><br />『桜守姫秘聞』は現代の物語です。<br />もちろん姫が生きていたのは過去ですけが、マンガじたいは、桜守姫の伝説を現代の女性が語って聞かせるという趣向です。それはけして、現代女性が現在とは無関係な歴史物語を語る、というものではありません。逆です。<br />桜守姫が体験してきたのと同じ状況で、彼女は姫の伝説を語りはじめます。<br /><br />語り手の現代女性は、恋人の男性とドライブに来て、大きな桜の木の下にテントを張ります。もちろん彼とそこで泊まっていくためですけれど、これももちろん、その桜は桜守姫の桜の木です。そして夜になり、彼女は姫の伝説を恋人＝自分を求める異性に話し始めます。<br />つまりこれから性的関係を持つ場面で、彼女は桜守姫について語ります。その彼女は、桜守姫の子孫だと自分のことを話します。<br />語り終えた彼女に手を伸ばし、抱き寄せる恋人。彼女が彼を殺したことが暗に語られ幕。<br /><br />これが『桜守姫秘聞』なのですが、ところで、姫の伝説を話し終えた彼女は、彼とこんな会話をします。前に話したように、恋人氏がまず聞きます。<br />「姫はそれからどうしたの？」と彼。<br />「どうなるんだろうね」と彼女。<br />「だって君、そのお姫様の子孫だろ。じゃあ姫はちゃんとヨロコビを知って、子どもを作ったんだ」と彼。<br />「そう…<br />かもしれない<br />誰かを愛せるようになれたのかしら」と彼女。<br /><br />微妙な会話ですけど、とりあえずのポイントは彼女の「どうなるんだろうね」です。つまり伝説のはずの桜守姫の昔話を、現在形に話し変えていることです。「どうしたんだろうね」と返さずに、時制を現在にもってきている。<br />そして最後の、「誰かを愛せるようになれたのかしら」とは明らかにひとり言です。<br /><br />彼女は桜守姫に自分自身を託しているし、だとしたら「桜守姫の伝説」じたい、ほんとにあるかどうかも疑わしい――そう考えることは出来ます。<br />彼女の作り話かも知れないし、実際に「桜守姫伝説」があったとしても、今現在の彼女の心情によって作り直されていることだって十分に考えられる。<br />そういう描かれ方をしているということですが、ゆえに『桜守姫秘聞』のほんとの主人公は桜守姫じゃなく、現代人の彼女なんだってことです。<br /><br />『桜守姫秘聞』は、「過去にあった価値観（例えば性的関係に相手への責任を感じるべきだとする価値観など）」への郷愁を提示しているものではなくて、「現在こそを問題にしている」マンガです。<br /><br />◇<br /><br />ところで、現代人のこの語り手はなぜ恋人を殺したのでしょうか。<br />もちろん桜守姫に自分を託せる彼女には、これまで話してきたような内実があるはずだからですが、なのでこの話をしておけば――、<br /><br />繰り返しの引用になりますけど、彼女は彼との会話で、<br />「そう…<br />かもしれない<br />誰かを愛せるようになれたのかしら」<br />と口にします。ところでこの最初の「そう…」のあとには句点「。」が入るのでしょうか、それとも読点「、」が入るのでしょうか。<br />これまでに引用したセリフには、イメージで勝手に句読点をふらせてもらいましたけど、ここだけどうしてもできなかったりします。<br /><br />「姫はちゃんとヨロコビを知って、子どもを作ったんだ」と聞かれた彼女は、<br />・「そう（だよ）」と断じつつ、でもどうも落ち着かず、「かもしれない」と付け加えてしまった「そう。…かもしれない」<br />・「そうかもしれない」といいかけてよどんで、ひと呼吸入れてしまった「そう…、かもしれない」<br />このどちらかのはずなんですが、どちらでしょう。<br />つまり、<br /><br />「その桜守姫と同じように、私だって異性から（＝あなたから）ヨロコビをもらって、子どもをつくることができるんだよ」と言い、でもすぐ違和を感じたか。<br />それとも、<br />「いつか異性に（＝あなたに）違和を感じないようになるのかも知れない（だから今はほんとは、あなたを受け入れられてるわけじゃない）」と言いそうになってしまって、これやばいと躊躇したのか。<br /><br />同じといえば同じことですけど、このふたつってやっぱり違いますよね。<br />というか、そのふたつが違うことを意識させるのがこの表現の気がします。<br />そしてなかば希望的な解釈からすれば、「このふたつは違うけど、けどそうやって両者は近づくことができる」というような、表現にもなってる気がします。<br /><br />ちなみに、このふたつの違いって、「自意識の在り方」の違いです。<br />「女と男は自然に結ばれ、いつくしみ合うもの」というルールを無自覚に信じてきたのが前者の自意識。<br />そういうルールに馴染めず「どうしても異性には違和が（緊張感が）ある」と自覚していて、「でもそういう言い方をしたら相手は傷つくだろうな」と思いやったのが後者の自意識。<br />全体の内容からして後者の印象を覚えるのは確かですけど、でもそうでしょうか。<br />姫の伝説を語っていく過程で彼女は「異性に違和を（緊張を）感じている自分」に気づいた、可能性だって十分にあります。<br /><br />そんな風に違う自意識を持ってるとしても、まったく同じ表現をとることがある、というのがここでの清原さんの表現の気がします。<br />そうして両者は近づいて、同じことを意識し、考えるようになるかも知れない。<br /><br />◇<br /><br />こういう言い方をするなら、現代人でも恋人を殺す人と殺さない人との、二種類の人間がいます。あるいは、そういう二種類の意識が人間にはあります。<br />このふたつがどう違うかを語っているのが桜守姫の伝説なのはそうなんですけど、けども、両者にまったく接点は無いかといえば、そんなこともないだろうと。よくよく両者を見ていけば、どこかに接点はあるはずじゃないかと。<br /><br />言い換えれば、<br />「今は誰でも‘恋人を殺す’をして当然だ」とはよく聞く見解ですけど、それってそんなに簡単にいえるものだろうかと。よくよくの接点を最初から見ないで、一方的に「らしい見解」を話してるだけならそれキケンだよと。<br /><br /><br />というここらへんを詳しく話すのは、まだだいぶ先ですけれど、もし、「清原なつの」をひと言で表せといわれたら、くらさーは、「接点をさがすマンガ家だ」と答えます。<br />詳しくは「作品集への注釈」とこれからを読んでくださいですけど、ともかくこの人がずっとしてきたこととは、「違う者どうしの接点をさがすこと」でした。<br />そしてそれは、コマの外のさらに外側にいる、読み手との接点も含まれるのだと。いえむしろ、それこそを見つめようとしているとは、これもまたべつの話になりますが。<br /><br /><br />付記；<br />※1　避妊をしていても（したつもりでいても）妊娠はありえます。その場合、妊娠から出産までを受け持つのは女性です。身体的にはすべてそうだし、ゆえに生活の変更も必要になり、場合によっては経済的な負担も彼女にふりかかるかも知れません。もちろんこれは、育児に関しても同様です。人はサカナあたりとは違い、産んで終わりということにはなりません。いわゆる高等生物の中でも、段違いに育児期間が長いものです。<br />中絶するにしても、その苦痛と消耗（と羞恥）を負うのは女性です。これも場合によっては経済的にもです。<br />そう話すとまるで女性であることがマイナスのようになってしまいますが、確かに現状の大勢からすればどれもマイナスでしょう。とはいえ、妊娠できることを女性に固有のヨロコビとする考え方・感覚だってあります。自分の中に新しい生命＝未来を持った存在が誕生していることがヨロコビである、など。<br />ここらへんも、桜守姫の意識にはあると考えていいはずです。<br />ちなみに、いわゆる現代的な文化的表現では性またはエロはとっくに当たり前のものになっていますが、その結果の妊娠・出産・育児が作品に表れることはまず無かったりします。そういう事実・意識を作者は抜かしている。<br />弱ったことにこの傾向は、人間の本質に迫るはずの芸術指向の表現（者）のほうが顕著で、要は「やってもやっても妊娠しない」のが芸術系です。それは過激なエロも、いとしい性愛も、どちらもです。<br />90年代以降、「エロ」と「暴力」くらいしかすがるものがないのは分かるし、「恋愛感情」をコミュニケーションの本質にしておけばウケるのも（書きやすいのも）分かります。<br />それ以前に、なかばこれって商業的な要請に大きく依存した結果でもあるでしょうから、作者に文句を言うのは間違いかも知れません。<br />べつに「妊娠を入れると売れない」ということではなくて、「要点だけ押さえてぱっぱか話を進めていくのが今の文化的表現のスタイルになっているから（80年代からこっちの表現の物語速度ってべらぼーです）、それを外すことはできない」というようなことです。同等の内容を持ってても、このスピードに合う人が新人賞を取るというような。別に否定的な意味ではなく、芸術といっても客にウケてなんぼですから、まず芸ありき、なのは当然です。<br />でもだからこそ、このスピードの中に「妊娠」も入れてみせるのがプロじゃないかと。自然を抜かすのってけっこうキケンな気がします。<br />妊娠・出産が女性にとってプラスかマイナスかはともかく、これって「自然」です。<br />性というのを「性愛・恋愛」だけに解釈して「生殖」を無視している。人間に固有の性欲というものと、動物一般の生殖欲求がほぼ完全に乖離してしまっている（‘性欲’は動物にはありません）。<br />ちなみに、けっこう以前から、小中学校で問題になっているのは女子の人工妊娠中絶です。内容からあまり表立って紹介はされませんし、年頃を考えれば後先を考えなかったことも同情はできますが、ともあれ「そういう文化状況になっている」ということですけどね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>清原・桜守姫秘聞</dc:subject>
<dc:date>2009-11-11T21:29:13+09:00</dc:date>
<dc:creator>倉沢きょう</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-59.html">
<link>http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-59.html</link>
<title>お姫様が電気毛布の夢を見るか？ ～桜守姫秘聞（5）</title>
<description> 今回は桜守姫の弁護の回です。姫はヨロコビが好きだけど、ヨロコビの向こうに「他人」の影がちらつくのは嫌いです。それがイヤだからというだけで、次々見合い相手を殺していくわけですが、むちゃくちゃわがままの自分本位です。ともかくあるのは「自分」だけ。とにかく「他人がイヤ」。これは確かですけど、そんな桜守姫はところで、なぜ「殺人」をするのでしょうか。◇だって単純に、「ふればいい」だけじゃないかって気がしませ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="color:#333333"><br /><br /><br /><br />今回は桜守姫の弁護の回です。<br />姫はヨロコビが好きだけど、ヨロコビの向こうに「他人」の影がちらつくのは嫌いです。それがイヤだからというだけで、次々見合い相手を殺していくわけですが、むちゃくちゃわがままの自分本位です。<br />ともかくあるのは「自分」だけ。とにかく「他人がイヤ」。<br />これは確かですけど、そんな桜守姫はところで、なぜ「殺人」をするのでしょうか。<br /><br />◇<br /><br />だって単純に、「ふればいい」だけじゃないかって気がしません？<br />姫がしてるのはお見合いなんだから、「どうもあなたとは上手くやっていけない気がします」て言えばいいと思うんだけど、どうでしょう？<br />例えば無欲の青年との出会いの場面です。<br /><br />（さわやかー）（くるり）、「あ」。<br />となった桜守姫は、「あの…、帰らないで」と引き止めます。<br />「私で、いいのですか？」と青年。<br />「まだお目にかかったばかりです」と姫。<br /><br />「いい」かどうかを決めるのは桜守姫なわけです。つまり姫のお見合いには、彼女の自由裁量が認められている。親が決めた相手と一方的に結婚させられるわけじゃない。続けてのふたりの会話はこうです。<br />「あの…、気を引くために帰るフリをしたわけじゃありませんけど。ぜんぜん自信ないので、帰りたいんですけど。本当に」<br />「そういう手を使う方も何人かいらっしゃいました。あなたは本気でお帰りになろうとした。私はお止めしたということです」<br />という風に、姫の選択権はちゃんと保証されている。ばかりか、彼女にこそ婿選びは任されています。<br /><br />だったらなにも殺さなくても、結婚を断ればいいだけです。お婿さんではなくお婿さん候補なのだから、そうする自由はいくらでもある。<br />あるいはそもそも彼を選んだのは両親なのだから、選抜に関して姫に責任はありません。「あの方との縁談は私は気が進まないから、そう先方に伝えてください」、そう親に訴えれば終わるような事態だともいえます。<br />にもかかわらず姫がするのは殺人です。なぜでしょう？<br /><br />◇<br /><br />もちろん「彼に対する個人的な責任が生じた」からです。<br />そう考えるしかないということですが、じゃあその責任が何かといえば「性的関係を結んだ」という事実ではないでしょうか。<br />無欲の彼以前から、つまり美形や物知りの彼などとも、桜守姫がセックスしてきたというのは、けっこう大事な読みの気がします。<br /><br /><br />かつての日本では、性的関係を結ぶとは、分かちがたい人間関係を結ぶという意味を持っていました。加えて、ある時期までそれは、男女が将来を約束するという意味も持っていました。特に女性にとってはそうでした。<br />もちろんこれは今でも、「恋愛関係という特殊な人間関係を結ぶことだし、その上での婚姻関係というものも射程に含めるほどの内容（ゆえに別の誰かと性的関係を持つことは倫理的に問題である＝不倫）」とされていることです。<br />『桜守姫秘聞』が描かれた当時（91年）はより濃厚にそういう空気がありましたが、とはいえ、そういった時代的背景を含めてこの作品は読むべきだという注釈ではありません。このマンガはもっと本質的です。<br /><br />例えば――今ちょっと触れた「不倫」というのが例には調度いいかも知れません。<br />例えば、倫理や道徳と呼ばれるものは、原則として一般的な民意であるような規則（規則性）を持つものです。あるいは「心理的な一般的了解を基に成り立っている」という言い方でもいいと思います。<br />近代という時間が生まれた時期に、過度な道徳教育、倫理的啓蒙があったのは事実ですが、だとしても、「民意、それを形づくる人心に基づく規則」が倫理・道徳です。<br />どんな倫理的・道徳的な訓話でも、論理的な理解ではなく、心情的な了解（同情＝同じ情を持つこと）を基底にしているといえば通じる気がしますが、ちなみに近代期の過度な教育や啓蒙は「幻想」「理想論」として処理されました。現状は「その後」の時間に（基本的には）あります。<br />またもちろん蛇足ながら、「倫理・道徳」とは「法的拘束力は持たない（国家のものではない）が、かといって個人的な裁量によるべきでない、民間の（民衆の、市民のあいだの）ルール」という意味です。厳密には（倫理学的または隣接する学問的に）その範囲を定めませんが、一般論的には（学術においても他分野なら）おおむねそういう意味になっています。<br />「国家権力で規制されるようなものじゃないけど（そんなものに規制されちゃたまんないけど）、だからってひとりひとりが勝手にやっていいようなものでもないだろう」と、そういうものでしょう。<br />国家より小さく、個人より大きく、地域や家庭や学校という枠組みだけに通用するわけではない、それでもいちおうはクニ単位のそういうルール。（nationやstateではなくcountryに属する規則、と言うと近いでしょうか）。<br /><br />そういうものなので、これは「一般的な民意」の下にあって当然なんですけど、つまりこういう言い方をすると、<br />「不倫はいけないことだから」→「恋人や配偶者以外と恋愛・セックスしちゃいけない」<br />のではありません。<br />「恋人や配偶者以外と恋愛・セックスするのってなんか違う気がする」→「そう思う人がたいてい」→「ゆえにそれは民間の規則＝倫理に反している」→「よって不・倫と呼ぶ」<br />わけです。<br /><br />たぶんこれって、「てかだって、自分の好きな人に自分より好きな人がいるとか、そういうの寂しいもんだし、恋人とかダンナさんとか奥さんとかにしたら、そんでセックスとかしてるんだなって思うと、けっこうやりきれないっていうか、裏切られてる感じとかするだろうし、だからなんか、そういうのやだよっていうか」とか、そういう感情から生まれてるものでしょうけれど。<br />「自分の恋人や配偶者みたいな相手を寂しくさせたり、やな思いさせたりするのって、なんかちがくない？　そういうことできる人っていいの？　なんか釈然としない」みたいな。<br /><br />もちろんこれって、「好きな人に自分以外の人と付き合ってほしくない、と思わせるような文化状況がまずあるからそう感じることになっている」という考え方もできますが、ところで、自身を「個体」と感じ他と峻別する意識って「文化状況」に左右されるものでしょうか。<br />ここらへんツッこむのはよしますが、どちらかというとこれって「文化状況」なるものをつくる原則のひとつですよね。<br /><br />で、たぶんこういう一般的な感傷＝倫理観を、桜守姫も持ってるはずです。そのことにとても忠実というか、その内実を体現しているというか。<br /><br />◇<br /><br />親が決めたお婿さん候補がイヤなら親に訴えればいいし、親を責めればいい。責任は親にあるからです。<br />自分に選択が任されているとしても、なおさらふればいいだけだし、面と向かってふるのがイヤなら、親を通してお付き合いをよすことはできます。<br />でもそうしないのが桜守姫で、彼女が「襲いかかられたから相手を殺した」のじゃなく、「襲われたけど、受け入れ、セックスし、その上で殺してきた」のなら、答えはこうとしか考えられないですよね。<br />彼を受け入れてしまった事実がある以上、責任は自分にある。つまり彼との関係にもう親は関係ない。自分と彼との関係だけになっている。だから彼を嫌うとしても、自分のこととして始末をつけないといけない。<br />これが桜守姫のロジックのはずです。<br /><br />もちろんそれで殺人までいくというのも極端ですけど、これって言い換えれば、<br />「セックスはしたけど、ばいばい」<br />と簡単に言うような人では桜守姫はないってことですよね。「つまんなかったらふればいい」、そういうロジック（自意識）は彼女にはない。<br /><br />◇<br /><br />こういう想像をしてみると面白いんですけど、「だったら美形も物知りも無欲の彼も、みんな囲っちゃえばいいじゃん」と。<br />要は一妻多夫家族というか、逆ハーレムというか、それこそ今の話題でいえば不倫に次ぐ不倫の関係を持てばいい。<br />実際、そうしようと思えばそうできるのが桜守姫です（逆ハーレム状態を持った女性の権力者、それに近い立場の人、そういう立場じゃなくても持った女性は歴史上いくらでもいます）し。<br />しかも姫の立場からすると、「美形は側用人、物知りは御意見番、無欲の彼は下僕、性欲に関してはまた誰か」という扱いもできるのだから、そんでいいじゃないかと。<br /><br />でもそうせず、するのは殺人なのが桜守姫なら、どうも彼女は一夫一婦家族を求めている――信じているふしがありますよね。「ひとりの相手と添いとげること」。<br />つまり、<br />「不倫なんて今時ふつうじゃん」<br />「求めた相手と寝て何が悪い？」<br />「一夫一婦制など近代的拘束の最たるもので、それは人をしばる制度である」<br />「ロマンチックラブなど欺瞞である」<br />「それは幻想なのだ」<br />とかの理屈が通じないとこにいるのが桜守姫だということです。<br />要は「現代」に馴染まないのが桜守姫なんですけど、でもべつに「現代」が本質とは限りません。<br /><br />これはべつの話題になりますけど、ちなみに、サルから始まった人類の歴史（もちろんそれはオス＝男性中心の歴史ですが）が、その過程で、一夫多妻制から一夫一婦制に移行してきたというのはまま歴史的事実です。<br />もちろんそのような地域は今でも一部にすぎないし、一夫多妻（的状況）を許容している地域は多いですが、でも全体像として、ゆるやかにでも一夫一婦制が許容され、その範囲を広げているのは確かです（いえば自称「先進国」はみんなそうです）。<br />なんでそうなったのかというのを、宗教や思想の影響だけと見るのってほんとに正しいのかっていう疑問もあるはずです。あるいはくらさーなりに思うところでいえば、宗教も思想も（科学も）、いつも「次代の民意の先取り」でしかなかったものです。<br />だからきっと「一夫一婦制を選ぶだけの内容が人類にあった」のではないかと。<br />実際、誰でも（男性はもちろん女性も）その時々に気に入った相手とセックスしたい・特別な関係になりたいと思うものです。けども、それでも「ひとりの相手を選ぶこと」も、人類なりに重要なことだったのじゃないか、というようなことです。（※1）<br />ともあれ、<br /><br />「セックスはしたけど、ばいばい」<br />「不倫なんて今時ふつうじゃん」<br />「求めた相手と寝て何が悪いの？」<br />「一夫一婦制など近代的拘束の最たるもので、それは人をしばる制度である」<br />「ロマンチックラブなど欺瞞である」<br />「それらは幻想なのだ」<br />どうもそういう理屈に馴染めない人だから、殺人までいくのが桜守姫なんだろうと。<br /><br />ま、法治的にいえば相当に問題がある人です。<br />あるいはその法治的＝規則遵守的であることを否定しているような「過激な知性」（↑みたいな理屈を平然といえたような）から見ても素直に受け入れられない人でしょう。<br /><br />けどもたぶん、「自分の好きな人に、自分より好きな人はいてほしくない」という感情は、ずいぶん前から人は持ってきたはずで（なにしろ『万葉集』にも『源氏物語』にも描かれてる感情ですが）、その感情がこの倫理観を生む最初の人心だとしたら、その裏返しを生きてるような桜守姫って、そんなに間違った人ではないんじゃないかと。<br /><br /><br />付記；<br />※1　なんで人類が一夫多妻制から一夫一婦制に移行してきたかは、「いわゆる‘文化的’になるだけ、人は他者との関係、とりわけ直接的な人間関係に関してセンシティブになるから。よって、わずらわしい人間関係を避けようとする傾向が強くなる」てことのはずです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>清原・桜守姫秘聞</dc:subject>
<dc:date>2009-11-04T20:50:20+09:00</dc:date>
<dc:creator>倉沢きょう</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-58.html">
<link>http://himahri.blog45.fc2.com/blog-entry-58.html</link>
<title>お姫様が電気毛布の夢を見るか？ ～桜守姫秘聞（4）</title>
<description> 『桜守姫秘聞』は「ヨロコビ」に関するマンガで、主人公の桜守姫にすると、・意識の外からやってくるもの・でも意外性だけが気持ちよいのではなく、それじたいが快感的なものが「ヨロコビ」だとされている。ゆえにそこには、・すでに見知ったものも含まれる・が、あるイミそれは「見知っていると了解しきれていない」からこそ求められ続けているものでもあります。けれど、・セックスはそこに含まれないという話が前回でした。セッ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="color:#333333"><br /><br /><br /><br />『桜守姫秘聞』は「ヨロコビ」に関するマンガで、主人公の桜守姫にすると、<br />・意識の外からやってくるもの<br />・でも意外性だけが気持ちよいのではなく、それじたいが快感的なもの<br />が「ヨロコビ」だとされている。ゆえにそこには、<br />・すでに見知ったものも含まれる<br />・が、あるイミそれは「見知っていると了解しきれていない」からこそ求められ続けている<br />ものでもあります。けれど、<br />・セックスはそこに含まれない<br />という話が前回でした。<br /><br />セックスだって見知った快感のひとつではあるけれど、ふつうは「無条件に気持ちいい」もののはずだし、「やってもやっても飽きない」のが男女ともの人類のはずなのに、そうじゃないのが桜守姫なんだと。<br />じゃあどうして桜守姫はセックスがダメなのでしょうか。<br /><br />たぶん、他人を無視できない人だからです。<br />言い寄る男をばんばん殺しておいて今更無視できないもなかろう、て感じですけど、この考え方は逆ですよね。無視できないから抹殺までいく。わけです。<br /><br />なぜセックスがダメなのかは簡単で、「そのヨロコビの向こうに‘他人（自分に対する他人の欲望）’がちらつく」のが気になるからです。<br />あるいはそういうものが気になるのが桜守姫で、だからその視線――いえば「声」は、殺すしかないんだと。<br /><br />◇<br /><br />桜守姫にとってもセックスはヨロコビです。<br />彼女の言動からしてそういうもののはずですが、美形にしても物知りにしても、彼らは「襲いかかったから」殺されたわけではありません。することをして殺された。そうでなければ無欲の彼とのセックスの最中に「この人でもダメだ」などと思うわけないからです。<br />単純に男たちがみんな「へた」だったのでしょうか。そういうことではないですよね。「他人にもたらされるヨロコビはいやだ」と思う姫は、「他人は他人でヨロコビをもたらしてくれる存在」だと認めてるわけですから。<br /><br />だとしたら彼女は、セックスというヨロコビにぼっとうできないわけです。たぶん単純に。<br />桜を見つめて陶然としているときや、ただ眠りの中にいるときと、セックスは違う。ごく単純に、「セックスは‘ヨロコビ’以外のものも含まれるから、‘ヨロコビ’の純度としては下」なんだと。<br /><br />セックスじたいはヨロコビだけれど、そこには、ヨロコビだけに浸らせないなにかがあってしまう。ノイズがある。ではそのノイズとは何か。もちろん「他人」です。「他人らしい他人を感じること」。<br />美しいものは見ているだけでうっとりしてきます。なにも考えず陶然としていられ、当の美形はそれを邪魔しません――見つめ合って暮らしている限りは。むろん彼はその美貌によって婿候補に選抜されています。彼女はそのとき、「美形である他人」ではなく「美」だけを見ています。<br />珍しい話の得意な人間は、珍しい話をできるゆえ姫のそばにいることができます。ほしいものが聞いたことのない話なら、きっとそこで桜守姫は興味津々に話に熱中しているはずです。目的は「話」でべつに「話し手＝話をする他人」ではないということですが、「話し手」をやめない限り当の男が「話」の邪魔をすることはありえません。<br /><br />美にうっとりしてるときや、珍しい話に聞き入っているときには、桜や眠りの中にいるときのように、ノイズが無い。ヨロコビだけに浸っていられる。そこに「他人（らしい他人）」はいないわけです。<br />このことを、さらにはっきりさせるのが「無欲の青年」です。<br /><br />◇<br /><br />最初に話したように、この作品は「男性から一方的な欲望を見られる女性一般の悲劇」の比喩ではありません。だとしても、確かに女性一般の悲劇は悲劇であります――そう解釈してよい内容はあります。むしろ十分に。<br /><br />桜守姫にとっての「自分」とは、例えば「お姫様」であり「美人」で、要するに「男たちの憧れの的」です。単刀直入に「オトコの欲望の対象」です。<br />だから男はみんな婿候補になりたがるし、全身から欲望を発する男の目的は「美しいお姫様」の「自分」です。『桜守姫秘聞』は男性から‘オンナ’を意識させられる不幸、の話になるし、それは女性にとって「自分の不幸」と感じられるはずです。<br />「オトコの性欲にはうんざりさせられる！」、これは女性の現実だし、だからそれはそれで正しい読み方です。<br />でもそれでも「無欲の青年」を出すのが清原なつのです。<br /><br />確かに男性は女性に「欲望」を持ち、だから美形も物知りも「襲いかかる」わけです。彼らの美も博識も、彼らにとっては「姫に取り入るための方便」で、本人の欲望は「オトコ」のそれなわけです。<br />でもそういう欲望を「無欲の青年」は持ちません。彼もオトコなのだから持ってはいるだろうけど、最初からあきらめているから桜守姫には向けない。<br />そんな「女性に（桜守姫に）欲を見ない男性を、でも殺す」物語がこの作品なら、「女性一般の悲劇」ではやっぱりありません。<br />ある地点までは「女性一般の悲劇」だったのに、「無欲の青年」を出すことでそうではなくなってしまう（なくしてしまう）、という言い方をしてもいいかも知れません。<br /><br />「男性的な欲望」を自分に向けなくても、でも殺人の対象になるとするのが『桜守姫秘聞』です。よって「‘オトコ’かどうかじゃなく、ともかく‘他人’を感じさせられることがイヤ＝‘自分’の中だけで充足していたいのが桜守姫」なんだと。<br /><br />◇<br /><br />「桜の花」や「眠り」は、桜守姫に対して「欲」を持ったりしません。姫にああしたい、こうしたい、みたいには思わない。当然、「男性的な欲」を持つこともありえません。言い換えれば、桜や眠りは「無欲」です。<br />姫にとって「無欲の彼」とは、この桜や眠りに近い存在のはずです。だから「良い人」で「これまでで一番好き」なんだと。<br />でもそんな彼まで殺すのが桜守姫なら、「自分に対して‘欲’というものを持ちうる存在＝他人そのものがいやだ」ということになります。（※1）<br />「人間」がダメだ、といってもよいでしょうか。あるいは「個人」が。<br /><br />言い換えるなら、<br /><br />美に陶然としたい彼女にすれば、その「美」が「○○家の嫡男、○○ノ介様」であるかどうかは関係のないことだし、珍しい話を聞けるなら相手がラジオでもロボットでも宇宙人でもいいわけです。<br />必要なのは「美しいものに陶然としている状態」だし「珍しい話にぼっとうしている状態」で、「その人」である必要はないし、そもそも「人間」である必要もない。<br />だから「人間」としては扱わない。<br />姫のとっている立場とは、実はこういうものです。<br />なにしろ「桜の花」も「眠り」も人間ではないし、そしてこの「桜」「眠り」と「無欲の青年」を分ける因子とは、「人間かどうか」だけです。<br />後者は殺されてしまい、前者はいつまでも姫のお気に入りであり続けます。<br /><br /><br />ただヨロコビだけにぼっとうしていたい、これが桜守姫です。<br />ヨロコビの影にノイズを感じるのイヤで、じゃあそのノイズがなにかというと「他人」――つまり「人間」です。<br />「人格を持った他者がイヤ」と言えば正確かも知れません。「個的な欲望を持つ存在としての、つまりただの人間・個人」。<br />こちらへの「想い」「思惑」などの「欲」を感じることがイヤ、「こちらの望まない個人的な欲を持つような、自分以外の人類」を感じるのがイヤ。<br />相手がほんとうになんらかの欲を持ったかどうかに関係なく、ともかく「自分に欲を持つだろう他人」を感じるのがイヤ。<br />だからそれを感じると「…やっぱこいつもダメだ」で殺すことにしてしまうと――それが無欲の青年の結末ですよね。<br /><br />美形の彼も物知りの彼も彼女をヨロコばせてくれたし、それはセックスにおいてもそうだったはずですが、でも、「私をヨロコばせてくれる代わりに、あなたの想いも聞きましょう」とはぜったいにしない。<br />必要なのは「自分のヨロコビだけ」。<br />そして最後には、自分から引き止めた「無欲の人間」すら殺してしまうと。セックスの場で。<br /><br />これが桜守姫ですが、むちゃくちゃわがままです。ひどすぎる、という言い方もできるでしょうか。<br /><br />◇<br /><br />ひどすぎるので、次回は姫の弁護の回にしますけど、けども、基本的に『桜守姫秘聞』はそういう利己的で残酷な心性に関する話です。<br />このマンガは、女性一般を慰めるような内容ではないし、あるいはそんな女性たちと似通った立場を生きている人にとっての比喩になるものでもないし、付け加えておくと、当然、作者にとっても慰めにはなりません。<br /><br />『桜守姫秘聞』は、それを描くことによって――吐き出すことによって、いくばくかの自己完結的な解放感を味わうことがあったとしても、それを読むことで（自作を読み返すことで）快感を感じる作品ではないです。<br />読み手がわずかに溜飲を下げ、せめてもの希望を見るとしたら、「かつてこの社会にも、こういうものを描いた人がいた」という事実に対してです。「だから自分も同じことを思うことがあっても大丈夫かも知れない」と。<br />もちろんそれは「私たちの場合は清原なつのだった」というものでしかありませんが。<br /><br /><br />付記：<br />※1　秋葉原の事件で話題にされたのは、「殺すのは誰でもよかった」という加害者の言葉でした。もちろんこの加害者に限らず、同種の事件では以前から、この「誰でもよい」意識が明瞭になっているのは周知です。ところで、この発言で大事なのはどこでしょうか。<br />たぶん、「それでも相手は（対象は）他人じゃなければいけなかった」ことです。殺す（壊す）のは「何か」じゃなく、「誰か」じゃなければいけなかったのが彼だったと。<br />犬とか猫とか、ぬいぐるみとか自動販売機とか冷蔵庫とかじゃなく、「誰か＝人格を持った他者＝他人」を最終段階まで毀損しなければ回復されないのが彼の自尊心で、自由だったということです。<br />むろんここで「同種の事件の加害者」という呼び方をすることじたい、「秋葉原の事件の加害者」や「その他の事件の加害者」を「不特定多数の誰か」として捉える意識なのだということを、忘れたくないものですが。<br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>清原・桜守姫秘聞</dc:subject>
<dc:date>2009-10-28T20:19:53+09:00</dc:date>
<dc:creator>倉沢きょう</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
</rdf:RDF>